2014年から読書ブログを書いていますが、細々ながら続けていることについて、友人から「すごいねぇ」言われることがあります。
怠けほーだいなので、何がすごいのかわからないのですが、きっと想像するにこういうところなのかな、と思います。
・そんなめんどくさいこと、よくやるね。
・自分の意見を発信するなんて、勇気あるね。
・3日坊主にならずに、よく続いているね。
確かに、めんどくさいはめんどくさいです。
ただ、ブログを書いてしまった方が楽になる、と感じることも多いです。
ストレングス・ファインダーで、「着想」と「収集心」が強いワタシ。
例えば何かを見たり聞いたりしたときに、「あ、これ、この前あの人が言ってたことだ!」と思ったり、
本を読んでいて、「あー、ここに出てくる話、あの本とつながるなぁ」と気いたり、
誰かと話していて「ああ、あの時のあれは、これか!」などと腑に落ちたりすると、
シナプスががビビビと信号発しているかのように、とても嬉しくなります。
多分、こういう時、かなり目が見開いています。鼻も膨らんでいるかもしれません。
そして、その着想が捨てられない。ずっと頭の中にある。
そうすると、だんだん脳のキャパシティが足りなくなってくるのか、だんだんあっぷあっぷとしてきます。他の情報が入りにくくなってきます。
私にとって、ブログを書くのは、この、頭の中に溜まった着想を取り出している作業です。
そうすると、またスペースが空いて新しい情報が入ってこれます。
(実際には、ブログを書くよりもアイディアが浮かんでいる方が多いので、断片をメモして一旦頭を空っぽにしています。)
更に、取り出したその塊を粘土のようにちょっとこねて記事という一つの形にすると、「手にしたものは使い切らねば」という私のまた別の性癖も満たされる模様で、そうすると、やっと、その使命を全うした本や雑誌なども手放せるようになります。
以前は自分で読書ノートをつけていたのですが、それだと手は疲れるし、あとで探すのも一苦労、家に帰らなければ見れないし、自分の走り書きを読み返すのも大変。
ブログの形にしておくと、あとで探すのも簡単だし、どこでも見れるし、書いた内容がちょっと違ったなと思えばいつでも加筆修正できます。
人に本を紹介するときにも、URL送るだけでいいので便利です。
そう思うと、書くときは確かに手間もエネルギーもかかるのですが、全体で考えるとむしろ効率的かもしれません。
他の2つは、
確かに最初は勇気がいりましたが、だんだん気にならなくなってきました(麻痺?)。
また、第三者が読むかもしれないと思うと、この情報は正しいか、と確認したりしますので自分の情報がより確かになります。
同様に、この表現によって読んだ誰かが傷つくことはないか、と想像を巡らすようになったりして、いろいろな立場に想いを馳せたりすることになります。
続くか続かないかは、やってみて続かなければやめたっていいし、半年後にポツッと書いても誰も怒りません。
頭の整理になって、表現力が鍛えられて、いいことづくし。
おまけに、もしかして知らない誰かがネット上で自分の記事を読んで元気になったり、自信になったり、共感したり、新しい視点を得たりしたら、それはそれで儲けもの。
何よりも、きっと私にとってブログを書くことはクリエイティブでいる時間です。
クリエイティビティは、人間にとって、奪われたら一番辛いものなのではないかと、最近思います。
誰にとっても何かを創造している時間は、「今」に没頭して、他人の目も気にならず、どんな不安も不愉快さも痛みも消え失せる時間ではないかと。エネルギーもリチャージされます。
私は数年前まで、「クリエイティブであるというのは特別な人についてのみ当てはまるもので、自分自身は全くそういう人間ではない」と思っていたのですが、そんなことはありませんでした。
コーアクティブ・コーチングの4つの礎でも、「人はもともと創造力と才知にあふれ、欠けるところのない存在である(People are Naturally Creative, Resourceful and Whole)」というのがあります。
人は誰でも、もともと創造力にあふれています。
一人として同じ人生がないということを思えば、今自分の人生を生きているということそれだけをとってもクリエイティブといえるのかもしれません。
絵や彫刻、音楽、演劇、デザイン、小説なども、もともとは自分の内側にあるものを表現することが出発点なのではないかなと思います。心を動かされるのは、そういう作品のような気がします。
得意なもの、好きなものは人それぞれ。
芸術だけではなくて、料理や掃除、書類の作成、仕事のやり方ひとつをとっても、自分の創造性を発揮する機会はたくさんあります。
ブログ、何かの作品、誰かへのお手紙、新しい仕事の企画書、誰かに何かを教えるなど、ちょっとやってみたいな、と思うことがあるならば、是非まず一つ始めてみることをおすすめしたいです。
何か特別に新しいものを創り出そうとしたり、うまくやろうとしなくてよいのだと思います。
自分の内側にあるものをそのまま表現すれば、もうそれは十分。
自分自身がすでにクリエイティブな存在なのだから。
それが開花するのを世界は待っていると思います。