私たちはいったい幾つくらいの頃から、「価値を出すためには何かをしなければ」と思い始めるのでしょうか。
自分自身、今でも、ともすると陥りがちな思考です。
クライアントの方々にも、とてもよく見られる思考です。
経験上、この罠に囚われていると、「いつでも満たされている」という状態になりづらいです。
どんな人間も、24時間365日、人生100年、常時何かしらの行動を起こしているというのは、難しいですので。
さらには、簡単に不安にやられます。
時折、心の中に、自分には何か欠けているとか、まだ足りないとか、自信がないといった隙間風が吹くような。
何か評価されるアウトプットを出さないと、自分には価値がない。
誰かに喜ばれないと、自分には価値がない。
誰かに感謝されないと、自分には価値がない。
だから、何かすごいことをしようとする。
だから、何か人を喜ばせるようなことを一生懸命する。
自分に価値があることを証明するために。
時には自分のエネルギーや気持ちを犠牲にして。
この「怖れ」からのサイクルは、遅かれ早かれ、いつか限界がきます。
そんなことをしなくても、
私たちはそのままに存在しているだけで価値がある。
普通に生きているだけで、何らかの、その人だからこそのインパクトをその場に起こしています。
わかりやすいのは、赤ちゃんの頃。
何もできずに寝ているだけなのに、皆がその存在を喜んでくれます。
笑えば喜ばれるし、不機嫌な顔をしていたってそれ自体が可愛いとすら思われます。
電車で隣り合わせになった知らない人すらも笑顔になります。
桜も、ただ毎年同じ場所で自然に咲くだけなのに、
人はそれを見て、嬉しくなったり、インスピレーションが湧いてきたりします。
その時期に、その場所に存在してくれることを、人々は心待ちにしています。
動物たちも、毎日をそれぞれに一生懸命に生きているだけなのに、
いえ、一生懸命に生きているその姿に、私たちは心を動かされます。
存在しているだけで価値がある。
人間にとって、このことを最も身近に感じさせてくれるのは、パートナーや家族なのだと思います。
だから、パートナーや親や子供、祖父母や孫は、とても特別な存在になります。
でも、本当は、それは、家族を超えて全ての人を相手にしても同じことです。
職場でも、友達の間でも、その人がいるだけで醸し出される空気があります。
存在しているだけで放っているインパクトがあります。
その人がいないときを想像してみれば、それがどんなものなのかわかりやすいかもしれません。
通りすがりの人がとってもニコニコしていて、こちらも思わずほっこりする、なんてことだってあります。
そういうことに、私たちはもっと、価値を認めていい。
もし、私たちが自分の価値を出せていない瞬間があるとしたら、それは、きっと、自分らしくしていないときです。
本当はもっとリラックスしていたいのに、何かの型にはまって身動き取れずにいるとしたら。
打ち合わせでも、自然に思いついたアイディアや、別の角度からの提案があるのに、それを出さないでいるとしたら。
本当はもっと真面目な話をしたいのに、場を壊すのを心配して、そんな雰囲気を出すのを控えているとしたら。
本来の姿であるときこそ、人は本当の力を発揮します。
「自分らしくありたい」と多くの人はいいます。
是非そうあってほしいと思います。
私もそうありたいと思います。
それを邪魔しているのは、実は周囲ではなく、自分の思考なのかもしれません。
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