先日の記事「人生は、不要不急のことばかり」にも書きましたが(多数の共感のコメントありがとうございました)、新型コロナウイルスの影響を受けて、最近は全く人とFace-to-Faceで会っていません。
けれども、世界は、いまだかつてなく、つながっている、と、とても強く感じます。
今のこのレベルでの繋がり方は、後にも先にも、今しかないかもしれない、とすらも思います。
きっと皆さんも感じていることでは。
物理的にはむしろ離れているのに、何でそう感じるんだろう?というところ、個人的体験からちょっと紐解いてみようかと思います。
#1 物理的距離を超える
もう、これは言わずもがな。
人に会いに行く代わりに、全てビデオ会議での対話やミーティングとなりました。
最初は仕事だけだったのですが、今は、友達とも、家族とも、zoomで集まって話しています。
普段は会えない距離の人も含めて、全員とリアルタイムに同時に繋がれて、しかも全員の顔がPC画面に等間隔・同じサイズで並ぶので、ある意味、東京の居酒屋で首都圏在住メンバーだけで集まっているよりも、「全員とつながっている」という感覚になります。
そして、ここ最近は、海外とも。
私の交換留学時代の仲間は、私以外は皆ヨーロッパにいますが、先日彼らともzoomで繋がってみましたら、全く距離を感じず、昨年夏に皆で集合した時の感覚が呼び起こされました。
先日は、フランスとロンドンをつないで配信されたINSEADのウェビナーにも参加してみました。何の違和感もなく、ビジネススクールの授業が聞けてしまいます。(内容は「危機時のリーダーシップ」にまとめています。)
#2 同じ空気感を共有している
ただ、別にここ数ヶ月で技術が突然に革新した訳でもなく、こんなつながり方は、以前からやろうと思ったらできたはず。
でも、ビデオ会議をここまでは活用していなかった。
さらに言うと、ビデオ会議でつながっても、これまで、ここまではつながりを感じなかった。
例えば、先述の留学時代のヨーロッパの友人たち。
普段からWhatsApp(SNS)の輪に私も入っていますが、彼らは同じタイムゾーンで盛り上がり、ひとり違うタイムゾーンにいる私は、どうもその波に乗り切れていないな、自分だけ違うところにいるな、という感覚がありました。
また、ウェビナーにしても、これまで海外から発信されるものにそんなに参加しようとしたことはありませんでした。
何が違うのか。
それは、今は空気感を世界全体で共有しているからではないかと思います。
以前は、「あちら」と「こちら」がある感じで、それぞれに事情が異なっている感じがあったけれども、
今は、世界レベルで同じ関心事があり、「あちら」と「こちら」がなくなった感じがあります。
違う大陸で起きていることも、まるで他人事ではない。
世界で同じひとつの脅威に立ち向かう、そんなような映画があったような気がしますけれども、
NHKでもBBCでもCNNでも刻々と変わる世界の感染者数と各国の対応が、東から西へ、随時アップデートされて聞こえてきて、
パッとzoomでつながった海外の友人たちとも、最低限の情報は相手も知っているということがわかっていて、
海外からのウェビナーで聞こえてくることは、今すぐにも自分の身の回りで役に立つこと、
という状況は、
まるで本当にそんな映画を見ているような、
あるいはその映画の中にいるような、そんな気分です。
#3 多かれ少なかれ、同じような状況を耐えている
政府からの指示も、家の広さも、住んでいる国や地域によって違いますけれども、
みんな、大きくくくれば似たような体験の最中にいます。
視覚障害がある方々の世界を感じるために、Dialogue in the Darkやアイマスクをしてブラインドサッカーを体験してみようといった企画がありますが、
結局、人間、実際に感じてみないと、本当にその感覚はわからない。
今、「人と容易に接触できない」という苦しさ・つらさ・フラストレーションは世界レベルで同じなので、ここにも、「あちら」と「こちら」がなく、
そのつらさの実感を共感し、互いに励まし合うことができていると感じます。
ちなみに、私も、本来でしたら、今年は独立・開業1年目で、みんなが出勤しているだろう頃に、ひとり自宅で過ごす時間が長くて淋しかったかもしれないところ、
図らずも、世の中全体がそういう状況になり、それは私の孤独感の軽減に大きな一役を買っていると思います。
#4 思いを馳せる時間がある
今、私も含め、仕事が減っている人も多いと思います。
ぼーっとする。
近所を散歩する。
そんな時間を過ごしていると、「あ、あの人、今どうしているかな。元気かな。」と、顔が浮かんだりします。
そうやって、思い出して、意識を向けるだけでも、つながりを感じられます。
可能な状況なら、連絡してみて、無事と知る。
メールや電話やzoomで、久しぶりに、お互いの存在を改めて感じる機会にもなります。
#5 瞬間移動
つながる機会自体も増えている感じがします。
オンラインの世界では、会議から会議へ、打ち合わせから飲み会へと、移動はteamsやwebexやzoomの会議室を超えていくだけ。クリック一つ。
物理的移動時間がないので、その気になれば、今までよりもはるかに多くの集まりに顔を出すことができます。
(あまりに簡単に繋がれてしまうので、実は、ちょっぴり「zoom疲れ」すら感じ始めています。)
また、その他の仕事も、結局、家でやっていますから、「帰る前にこの仕事を片付けよう」という必要も必ずしもなく、一旦オンライン飲み会に顔を出して、ノンアルコールで少し喋って、また仕事に戻る、などということもできてしまいます。
私もかつては常習犯でしたけれども、「ごめん!今日の仕事がどうしても終わらなくて、行けなくなっちゃった!」みたいなことは、かなり減っているんじゃないかと思います。
#6 みんなの居場所がわかっている
そして、もう一つ、これまでの世界では絶対なかったこと。
皆の居所がわかっている。
しかも、そこにネット環境があることがわかっている。
これは、実はすごいことではないかと。
誰かと会おうとすると、
「あ、その頃は出張でいないんだ。」
「あ、その時間帯はちょっと移動しているから無理だな。」
と、普段であれば、会う約束を取りつけること自体が困難な超多忙な人たちが沢山います。
その人たちも、今は、家に、いる。
普段より暇・・・失礼、時間的余裕、がある可能性は、高い。
実際、最近私自身は、
普段だったら実現しないようなメンバーand/or参加率でのミーティングや飲み会ができたり、
普段だったらこんなにゆったりした時間を割いてもらうのは難しいだろう、という人と話す時間が取れたりする、という体験をしています。
CTI ファカルティ仲間やBigger Gameのトレーナー仲間の打ち合わせ、その他のオンライン飲み会もそうですし、
上記ウェビナー(危機時のリーダーシップ)に感激してINSEAD教授お礼をメールしたら、私の日本での活動にも興味を持ってくださり、zoomでお話させて頂くことまでできてしまいました。
いつかコロナが収束すれば、日常が戻り始めて、また忙しさの渦の中に戻っていって、こんなに軽い気持ちですぐに人と繋がれるという日々を懐かしく思うかもしれません。
個人的には、
望めばいつだって、誰とでも海外とでもつながれること、
自分に日常が戻っても、病気などのために家から出られない人がいること、
経済的事情などから普段から世の中の賑やかさ・豊かさを楽しむことができていない人もいること、
そして、人に思いを馳せるぼーっとする時間を持つことでじんわりすること、などを、
忘れないでいたいな、と思います。
そして、仲間には、アフターコロナもこれくらい密にコミュニケーション取って行こうねー!と言いたい。笑。
(もし響く記事がありましたら、シェア頂けたら嬉しいです。)