ここみちノート

プロコーチ・けいこの、散歩中、お風呂の中、夜眠る前、心の向くまま・導かれるまま、ふと思いついたことの雑記帳

コーチングとカウンセリングの違い

コーチングを学んでいる方から、このような質問を頂くことがよくあります。

  • どのようなクライアントにコーチングが向いているのでしょうか。
  • どのようなクライアントにはカウンセリングの方が適しているのでしょうか?
  • その見分け方は何ですか?
  • メンタルが不調そうな人にコーチングしても良いのでしょうか?

 

今回は、これらの疑問を持っていらっしゃる方の参考になればと思って書きます。 

 

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おことわり

「カウンセリング」という言葉もいろいろな使われ方をしていて、「キャリア・カウンセリング」などはコーチングの領域にかなり近いと思いますが、よく頂く質問はいわゆるメンタル方面のカウンセリングについてのことを指していると思われるので、この世界を想定して書きます。

なお、私は、現在はプロフェッショナル・コーアクティブ・コーチとして活動していますが、コーチングを学ぶ前に産業カウンセラー養成講座(実技のベースは、主にロジャーズの来談者中心療法)に通い、資格を取得し、現在もその資格を保持しています。シニアカウンセラーに向けた勉強も始めていましたが、途中でコーアクティブ ®︎に出会って面白さに取り憑かれてしまい、コーチングに舵を切りました。

また、自分でも、カウンセリングとコーチングと、両方受けたことがあります。

ここで書くのは、完全なる個人的意見です。産業カウンセラーのトレーニングで得た知識・経験と、コーアクティブ®︎・コーチングのトレーニングで得た知識・経験と実務経験をベースにして書きますが、産業カウンセラー協会及びCTIジャパンの見解ではありませんので、この点十分ご理解・ご了承頂いた上でお読みください。

また、この点について、もっと詳しい先輩方・先生方が沢山いらっしゃると思います。また、カウンセリングもコーチングも理論・流派が異なると、違うご意見もあられると思います。以下はあくまで私の限られた範囲でのまだまだ浅い経験から感じたことの記述であり、不勉強なところはご容赦頂ければと思います。

 

コーチング、カウンセリングの概観

カウンセリングは、健常者ではあるけれどメンタルが不調の状態にある方を対象にします。何かの理由によりメンタルがマイナスのところにある状況の方々を対象に、ゼロ+ちょっとのところまで回復するようなイメージ。

精神疾患を患っているような状況では、カウンセラーの範疇を超えて、精神科医や心療内科の領域になります。

 

コーチングは、自らの意思で更に自己成長しよう、という健常者を対象にします。上記の比喩の続きで言えば、ゼロ以上のところから更にプラスの方面に向かっていこうとするのを支援するイメージ。

もちろんその過程で落ち込んだり、塞ぎ込んだり、ということは当然あり得ますが、それらは人生の中で誰でも経験する一時的なストレス、一時的なアップダウンの領域を想定しています。

 

コーチング、カウンセリングの似ているところ

どちらも人間的成長への援助である

2012年当時の産業カウンセラー養成講座の教科書によりますと、カウンセリングについて、以下のように説明しています。

「カウンセラーが、クライエントに対してコミュニケーションを通じて、本人が成長し自己理解できるように心理的な援助を行うこと」(産業カウンセラー養成講座テキスト(以下「テキスト」) p.39)

 

コーチングも、自己成長のためのものです。

 

そして、カウンセラーもコーチも、クライアントについて、ここから成長していくことができる人だと信じて関わっています

 

そして、どちらも、結果として、変容が起きていきます

 

どちらも安全な場で傾聴する

カウンセリングで技法以上に大事なのは、ラポール(親和感)の形成。守秘義務と温かみがあり、安心して話せる環境をつくります。

コーアクティブ®︎・コーチングでは、意図的な協働関係を築きます。守秘義務はもちろん、安全で勇気づけられる場をつくります。

 

そして、いずれであっても、クライアントを、評価・判断なく聴きます

クライアントが言葉にしていないことをも含めて聴きます

傾聴とは、生きている、存在している、感じている ”その人そのもの” を聴くことである。(テキストp.87)

コーチングは、傾聴で全てが決まると言っても過言ではありません。(コーチング・バイブル(以下「バイブル」) p.90)

コーチングは傾聴から始まります。(中略)傾聴はすべてのコーチングの「入口」なのです。(同)

 

同じ「傾聴」と言っても、何にアンテナ(聴き耳)を立てているかという点でコーチングとカウンセリングでは異なってくるのですが、それを書き始めると果てしないので、それはまたいつか別の機会に。

 

何れにせよ、こういう環境で、こういう姿勢で聴いているから、クライアントが自分に向き合えたり、これまで話したことがないことも話せたりするようになります。

  

コーチング、カウンセリングの異なるところ 

一言で言ってしまうと「関わり方」だと思います。

もう少し噛み砕いてみたいと思います。

 

クライアントの状況

カウンセリングにいらっしゃる方々で、「私、成長したいんです」「私、変わりたいんです」と、自らその目的を持ってカウンセリングルームのドアをノックされる方はあまりいらっしゃらないと思います。

それよりも、目の前のストレスや不安に押し潰されそうになっていたり、気持ちが落ち込んでいたり、対人関係に著しい困難が生じるなどして、誰かに勧められたり、心身に不調を感じたりして相談にいらっしゃる、ということが多いと思います。

そのような問題や不調が起きる原因は、理論によって捉え方が異なりますが、例えば、「自己不一致(自己概念と経験のずれ)」だったり(来談者中心療法)、認知の歪みだったり(認知行動療法)、非合理な信念だったり(論理療法)、図と地の関係が硬化していること(ゲシュタルト療法)などだと考えられます。

この時、「それはあなたの思い込みではないですか?」「それは、こういう風には考えられませんか?」と言われても、クライアントは、到底そうは思えなかったり、反発したり、またはそんな風に思えない自分を責めてしまったりするような状況にあると思います(なので、カウンセラーは軽々にそんな風には言わないと思います)。

カウンセリングでは、クライアントが受け入れられるペースで、自己不一致の解消、認知の歪みの解消、合理的な信念への訂正、図と地の関係を柔軟に選択できるようになること、などを目指して行きます。

そう言う意味では、目指すところについて、カウンセラーが一定の「見立て」を行なってカウンセリングを進めていきます。問題には原因があり、それを解消していく、というアプローチもコーチングと異なるところと言えるのかもしれません。

そして、クライアントが当初に抱えていた問題が解決されていきます同時に、自分についての大切な気づきや人間的な成長が生じます。この成長は、(カウンセラーからすると必然なのですが)クライアントからしてみると、それは当初の目的ではなく、そのプロセスの中で結果的に生じたとも感じられるかもしれません

 

一方のコーチングでは、クライアントの方々が、「もっと成長したい」「もっと良い人生にしたい」「もっと変わりたい」という意思を自ら持ってコーチングを始められることが一般的と思います。

きっかけが、出世競争からの脱落、事業の失敗、家庭内の不和などの逆境の場合もありますが、そこでショックを受けつつも、「これまでのやり方では通用しなくなった」などなんとなくのモヤモヤや、「自分は変わる必要があるのかもしれない」という、ご自身の自覚や意欲がベースにあると思います。

この「変わること」「気づきを得ること」への意思が予め確認できているから、コーチもその方向に向けて踏み込んだ関わりもできます

強固な思い込みや信念を持っていて、それが本人を不自由にしていることは、誰にでもあることです。これらの固定観念からの脱却はコーチングの大きな収穫です。

カウンセリングとの違いは、これを「それって思い込みですかね?」というコーチからの関わりが可能であり、むしろクライアントも、そういう多角的な視点や目から鱗の気づきを、積極的に求めているところだと思います。

 

受容するカウンセリング、一緒に創るコーチング

(以下、来談者中心療法を前提に書きますが)カウンセリングの対象となる方々にとってまず必要なのは、自分自身が深く理解されたと感じる体験です。

現実をそのままに見ることができず硬直的な心理状態になっているクライアントは、自分が置かれている状況や自分の気持ちが理解されたと感じられて初めて、それ以外の見方・考え方にも目を向ける余裕が出てきます。

テキストの言葉を借りれば、カウンセリングは、クライアントにとって、「自分の世界をそっくりそのまま受容してくれる、安全で自由な雰囲気を与えてくれる人間関係(リレーション)を体験することができる」場です。(テキスト p.63)

なので、カウンセリングでは、「相手とともに理解していくこと」(テキスト p.87)をとても大切にします。

この理解するプロセス自体、複数回のセッションをかけて、丁寧に進めていきます。

 

一方、コーチングは、「一緒に創っていく」という感じです。

「コーチングはそもそもダイナミックなもの」というのは、コーチング・バイブルにある言葉ですが(第4版 p.50)、これは本当にそうだと思います。

もちろんクライアントの考え、気持ち、思い、世界観などを聴き、「ともにいる」ことを大切にしていますが、それだけではなく、クライアントがまだ考えたことのないビジョン、クライアントが意識してこなかった気持ちなども、一緒に目を向けて体験していきます。

これは、クライアントの知っている世界を話してもらうのではなく、コーチが知っている世界に連れていくのでもなく、クライアントもコーチもまだ知らない未知の世界を二人で探求しているような感覚です。

またコーチングの場は安全な環境であるべきですが、それは常に心地いい状態ばかりであるとは限りません。時には居心地悪く感じる時間もあります。コーチは、その時も、クライアントにとって必要なことが起きている、ここから何かを学び成長する人だと信じて関わり続けます。

そうして、クライアントにとって大切な「発見と気づきと選択」(バイブル p.13)がもたらされます。コーチも本質的な話をするために核心で関わり、クライアントにもそれを促すため、例えば、1回のセッションでもこれらは十分起きます。 

このクライアントとコーチの関係性は、それはジャズのセッションのようでもありますし、ダンスのようでもあります。

 

共感的理解者となるカウンセラー、リソースになるコーチ

上記のようなカウンセリングの場を創るために、カウンセラーは共感的理解に心を注ぎます

自分の関心、経験、価値観、感情、知識、思考、想像力などのことを「準拠枠」と言いますが、カウンセラーは自分の準拠枠を外し、クライアントの準拠枠に沿って、クライアントが見ている世界観を一緒に理解することに心を注ぎます。

ロジャーズの言葉で言えば、「無条件の肯定的配慮」(受容)の姿勢で、「クライエントの私的な世界をあたかも自分自身のものであるように感じ取る」(テキストp.89)。

「ああ、あなたは、そういう風に世界を見ているんですね。」と。

そこに自分の準拠枠は持ち込みません。

また、質問も、伝え返しも、カウンセラーがクライアントの世界についての理解を進めるためと、カウンセラーに理解してもらえているということをクライアントが感じられるためのものという側面があります。

今質問するかどうか、どういう言葉で質問するか、今励ましをしても良いのか、など、カウンセラーは、自分の言動がクライアントにどう影響するか、というところまで、とても気をつけて言動を選択して関わります。

 

コーチングでは、「カウンセラーや問題解決する人としてではなく、思いがけないことが起こる旅の仲間として、会話に勇敢に入っていき」、関わります。(バイブル p.29 )

相手を理解するだけでは十分ではなく、まだ見ぬものを共に探求し発見していくために、必要なことは何でもします。

例えば、コーチ自身の直感を使ったり、ブレスト的にアイディアを一緒に出したり、認知したり励ましたり、時には要望や挑戦もします

クライアントがハッとするようなことや耳が痛いかもしれないことも、真実であれば素通りしません。

 

ちょっと極端な言い方をすると、このとき、クライアントが言っていることを完全に理解している必要は必ずしもないですし、完全に理解しようとこだわっていると、コーチングの本来の力が発揮できなくなる可能性があります。

コーチングではあまり原因究明をしない、というのも、一部、ここに関係するのではないかと思います。

カウンセリングでは、クライアントの世界をクライアントの準拠枠で理解しようとするなら、「どうしてそうなったのか?」というきっかけや原因は重要な情報である可能性がありますが、クライアントのこれからの人生を一緒に描いていく(創っていく)というときに、現在直面している困難の原因は、絶対必要な情報とは限りません。

もしそれがクライアントにとって大事な話であるときは、コーチが質問せずとも、クライアントが気づきと共に「そういえば、思い当たります・・・」と自発的に話し始めるというのが、私が経験上感じることです。

 

先にカウンセリングを学んだ私にとっては、コーチングの世界に入った時、難しく感じたことの一つがここです。

どうしても、聴きすぎてしまう

また、クライアントの世界を正しく理解できているかどうか、確認しようとしてしまう

理解者となることはコーチの役目の一部ですが、全部ではありませんし、目的でもありません。

 

もう一つ、転換が必要だったことは、自分の言動がクライアントに与えるかもしれない影響について考えすぎてしまうこと。

コーチも、自分の関わりがクライアントにどう影響するのかをとてもよく見て(聴いて)いますが、自分の関わりを抑制するというよりも、関わりながら、クライアントの反応を見ながら、調整していく、という感じです。

 

コーチとは「変化に向けた答えを求めて飛び込んでいくチェンジ・エージェント」であり(バイブル p.48)、「クライアントの高い次元の目的のために」(同)、コーチ自らが、形にとらわれず、それこそ全身全霊を使って気づきのためのリソースを提供していきます。

その言葉や関わりがクライアントの役に立つかどうかは、クライアントが判断することです。

 

健全で効果的なコーチングのために

コーチ側がコーチングとカウンセリングの違いを理解していたとしても、相談にいらっしゃる方がそうだとは限りません。

日本ではまだ、心のケアは自然なこと、元気がなくなるのは誰にでもあることという認識が浸透しているとは言えず、「カウンセリング」を利用することに抵抗を感じる方が少なくないように感じます。

実際、私も、かつて、そうでした。悩みを抱えてそれがついに体調にも表れたとき、当時の勤務先の福利厚生で用意されていた外部サービスを利用したのですが、初めて電話をかけるときは、敗者になったような屈辱的な心持ちでした。”弱者のためにあるようなところ”に頼らなくてはならなくなった自分が情けなく悔しかったのかもしれません。今は、皆もっと使ったらいいのに、と思います。会社が無料・低価格でそんな機会を提供してくれているなら、なおさら。(成長しましたね、私。笑。)

 

一方で「コーチング」はもう少しポジティブな響きがするようで、カウンセリングよりは少ない抵抗感で相談に来てくださるように感じます。

このことが孕む一つの危険は、本来はカウンセリングが必要な状況なのかもしれない方も、コーチの方に相談にいらっしゃる可能性がある、ということです。

 

だからこそ、クライアントのためにも、自分のためにも、国際コーチ連盟の倫理規定など、所属しているところや学んだところの倫理基準に従い行動することが大切と思います。

ご自身で是非、規定を読んでみてください。

(ご参考までに、産業カウンセラーにも倫理綱領があります。)

今回のトピックに関連して、特に大事だなと、私が思うことは以下です。自分なりの言葉で書きます。

 

期待値を揃える

クライアントの期待は何か。

コーチである自分ができること、できないことは何か。

継続的なコーチングを始めるには、お互いにそこの認識にズレがないことが大切と思います。

医療の世界で言えば、インフォームド・コンセント。

コーチである自分自身の現在の力量の限界についてお話する、ということも含まれるかもしれません。

 

期待値がズレていることほど、不幸で、苦しくて、(下手をすれば)危険なことはありません。

これらを伝えずに本当にコーチングでいいんだろうか?と疑問や不安を感じながらセッションをしても、あなたも100%の関わりができなくなると思います。それはコーチングの価値も損ねます。

 

違和感を無視しない

コーチングを始める前、そしてコーチングを始めてからも、もし「あれ?ちょっとコーチングっていう状況じゃないのかも?」と感じることがあれば、それは多分当たっています。

その直感は無視しない方が良いと思います。

 

私自身が経験から感じる判断基準の一つは、その人が感じているストレスの度合いです。

追い詰められるような大きなストレスに苛まれている時、そのストレスの回避・解決の方が最優先事項です。

そんな状況において、「将来どうなりたいか・どうしていきたいか」なんて先々の話はできません。話そうとしても力は入らないでしょうし、悪くすると、苦しくなるだけです。

 

こういう直感について相談できる仲間を持っておくことも、コーチの持続可能性には大切なことのように思います。

 

関係について話し合う 

違和感を感じたなら、そのことについてクライアントに正直にお伝えして、話し合ってみることが必要かと思います。

例えば、コーアクティブ®︎で言えば、プロセス・コーチングのように、ただ「今」を聴く関わりだけに留めるという形がクライアントにとって有益かもしれませんし、

コーチングを始めない、中断・終了する、という判断も躊躇すべきではありません。

他のカウンセラーや臨床心理士、医師などの専門家にリファーするというのも賢明な判断です。

 

私の過去の経験では、コーチングを求めていらっしゃったけれども、私はその方にコーチ的に関わることには不安が大きいと感じたとき、

「あなたにはコーチングは提供できないので、カウンセラーとして関わることを了承頂けるならば始めてみることはできる。けれども私の力量を超えていると思う時には中断を相談させてほしい。」

とお伝えして、カウンセリングを提供したことがあります。

もちろん、この時間は、自分のプロコーチの実績時間にはカウントしていません。

 

いずれにせよ、決してやって欲しくないことは、コーチングの資格取得や実績時間カウントのために、または、コーチングを試してみたいという自分の都合のために、本来はコーチングが適している状況ではないのに、コーチングを売り込んだり、コーチングを引き受けたりすることです。

 

コーチである前に、ひとりの友人であり、ひとりの人間である

コーチとして関わることをしない場合でも、他方で、相談に来て下さったその方の気持ちにも思いを馳せたいところです。

 

コーチであるあなたに相談すること自体、勇気がいることだったかもしれません。

あなただから話してみようと思ったのかもしれません。

 

そこでシャッターをピシャンと閉めてしまったら、それはどういうインパクトなのか。

 

私たちコーチも、コーチである以前に、ひとりの人間であり、ひとりの友人です。

 

人の話を聴くのは、コーチやカウンセラーしかできない、なんてことはありません。

みんなが話をしに行きたがった「モモ」は、廃墟に住み着くただの女の子でした。

世の中には、何の専門家でなくとも、人の話を聴いて心を和らげてくれる人たちが沢山います。

 

仕事として継続的に関わることはせずとも、その日、その時間、コーチの帽子を脱ぎ、ただの友達、ただの人間として、その人の話に耳を傾ける。それだけで、その人にとっては何かの助けになるかもしれません。

コーチとして鍛えたBeingや傾聴力は、そういう日常の中でも、きっと役に立つものです。

河原の土手に並んで座っているような気分にでもなって、何も言わず、ただただともにいるそれだけで十分に尊い時間であるように思います。

 

一方で、自分自身も、いつまで聴かなきゃいけないんだろう?と苦しくなったり、自己犠牲の感覚を持つようになったら、それもきっとやりすぎです。

コーチである前に、私たちも人間。

コーチだから、カウンセラーだから、どこまでも聴かなきゃ、なんてこともないのだと思います。自分の限界を知るのも大事なこと。自分がなんとかしなくちゃ、というのは、むしろ自分の力を過信していたりするのかもしれません。

 

 

久しぶりに開いた2012年当時の産業カウンセラー養成講座のテキスト。沢山書き込みがあってボロボロです。ここでは、「カウンセリングとの隣接領域」としてソーシャルワーク、宗教、教育、人事管理が取り上げられているのですが(テキスト p.44)、今時のテキストではもしかしてここにコーチングも掲載されているでしょうか。

産業カウンセラー及びシニアカウンセラーに向けての学びの中で、来談者中心療法の他にも、フォーカシング、ゲシュタルト療法、その他各種の理論を学びかじりました。また、個人的に、対人関係療法(IPT)についてはかなり本を読みました(この療法は、コーチングとかなり親和性が高いと思っています)。どれも、コーチとしての自分にも活きています。

また、カウンセラーとして活動されている方々でコーチングを学ばれる方も多数いらっしゃいます。コーチング的な関わりができると、特にカウンセリング終盤では、クライアントがより自走できるように支援ができると思います。

究極、目指している世界は同じ(そんなこと言ったら全ての職業がそうだと思うのだけど)。

いろんな理論も技法も相互に影響を受けあっていますし、それぞれに進化しています。

支援を提供をするプロフェッショナル側は、垣根を超えて学び合いつつ、

クライアントの方々は、必要な時に、必要なサービスが、抵抗も偏見もなく受けられる社会になっていけば良いなと思っています。

 

 

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カウンセリングの技法

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  • 作者:國分 康孝
  • 発売日: 1979/10/30
  • メディア: 単行本
 

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