コーアクティブ・コーチング®︎、コーアクティブ ・リーダーシップ®︎ を経験して、私が大きく変わったことの一つに「学び方」があります。
それ以前の私は、わからないことがあると、まず調べる。本を読んでみる。
講演会や勉強会などあれば、事前にわからない点を絞り込んでおいて、その点を質問したりする。それが最も学びを大きくする方法だと思っていました。
自分でやってみるときも、書かれていたことや教わったことをやってみて、「ああ、そういうことか」「ここはやっぱりわからない」とか。
あえて順序をつけると、「頭で得た知識を、実際にやって確認する」、という順番だったかな、と。
コーアクティブ はとことん体験学習で、極端な言い方をすると、この順序が逆転しています。
最初のうちは、いろんなワークをやる度に「これ、本当に意味あるんだろうか?」と相当訝りながら、大いに居心地悪く感じていましたが、
今は、あまり知識も情報も持たない状態でまず試す、というのが好きです。やみつきと言ってもいいかもしれない。
学びと勉強は違う
個人的な感覚ですが、「学び」と「勉強」は違うと感じています。
受験勉強に代表される「勉強」は、絶対的な正解がある感じ。正解に辿り着くための最も効率的な道筋もある。それを発見したら誇らしい。習得するとスコアも上がる。
私自身、テストで100点を目指すのが楽しい時期もありましたが、それも中学校くらいまで。(社会人になってからのMBA留学のためのGMATは本当に苦行でした。二度とやりたくないことの一つ。)
一方の「学び」は、絶対的な正解がなく、その学びの深さやタイミングもペースも、人それぞれだと感じています。
学ぶ方法も、限りなくある。
例えば、コミュニケーション一つとっても、研修やワークショップ等で学ぶこともあれば、チームスポーツや仕事、家庭などの日常の中で学ぶこともあります。
そして、それは成功体験から学ぶこともあれば、失敗体験を通じて痛いほど身に刻まれることもある。
さらに言えば、同じテーマについても、経験を重ねるごとに深みや見方が変わってくる。
だから、本当の学びは、個人的体験の中にしかにない、と思います。
人生で学ぶことの多くは、目に見えない
「勉強」の域を出た時、明らかにそれまでと違うことがある。
私なりに思うそれは、目に見えないこと。正解がないこと。終わりがないこと。
先日、山形県出羽三山・羽黒山の山伏・星野先達のトークイベントに参加した際、星野先達がおっしゃっていたことにとっても深く頷きました。
見えないものは感じ取るしかない。
見えないものは、考えてもわからない。感じ取るしかできない。
直観で捉えて、それを仮説にして、そこを目指していく。
修験者を指す「山伏」にという言葉について、「『山で人が犬になる』と読めるでしょ」と。
頭を使うな、感じ取れ、ということだと。目から鱗。
また、修験道では、修行の道を書き残すことはせず、すべてが口伝なのだそうです。
(そう言いながら先達の言葉をここで文字化しているのはどうなのだ、とも思うけど。。。)
そういえば、昨年行ったヴィパッサナー瞑想も、本や文房具・電子機器は全て預けさせられ、指導は全部、講話を通じてでした。
確かに、言葉で書いたものがあると、まずそれを読んで理解しようとしてしまうかもしれません。
そして、その言葉で書かれた「概念」を頭で理解しようとしてしまう。
それは、感じ取るセンサーを鈍らせてしまうかもしれない。
また、自身の体験からくる直観を信じるよりも、書物に書かれたものに正しさを求めてしまうかもしれません。
スポーツや芸術の世界、「道」の世界では、きっと当然のことなのに、「学び」という言い方をするとすぐ書物を想起して求めてしまうのは、ある意味面白いな、とも思います。
感じたことを考える
感じ取れ、ということは、考えることを否定しているのではありません。
また、バランスの問題でもありません。
再び星野先達の言葉です。
「感じること」と「考えること」はバランスの問題ではない。
「感じたことを考える」ということ。
感じたことを、自分なりに咀嚼する。
このことを通じて、感じ取ったものが、自分の学びとして、より定着する。
そんな風に、私は、先達の言葉を理解しました。
やっぱり、出発点は、自分が感じたところから。
頭で考える・わかることが先なのではなくて、感じ取ることが先。
読書が好きな私ですが、
本は、新たな学びや視点への誘いであり、
また、自分が体験して感じ取ったことを考える際の手助けになるもの、だと思います。
このブログも、その一助になっていたら嬉しいです。
けれども、学びそのものは、自身の個人的体験の中にしかない、
決して、本やブログを読んだだけでわかることはない、と思っています。
自分でやってみるまでは、似たような本やセミナーに何度も行くかもしれない。
何人ものスゴイ人の話を聴いて時間が過ぎるかもしれない。
自分で体験を通じて感じることを始めた時、多くの人や本は詰まるところ同じことを言っていることに気づくかもしれません。
そして、今度は、自分の言葉でそれを話し始めるのではないかな、と思います。
そうして、その学びが、本当に、自分のものになっていく。自分の一部となっていく。
そして、そこからまた新しい景色が見えてくる。
どこまで行っても終わりがないけど、その終わりがないことが楽しかったりもして。
コーチとしての私は、そんな体験を促し、その体験から共に学びを深めるコーチでありたいなと思っています。
この記事は、こんな人が書いています。
ツイッターも始めました。よかったらフォローしてください😊 https://twitter.com/keikotrottolina
週に1度のお便りの登録はこちらから。
ここみち便り 登録フォーム
(響く記事がありましたら、シェア頂ければ嬉しいです。また、もしこのブログを読んで、ここで紹介されている本を購入しようと思われた際は、このブログ内のamazonへのリンクを経由して購入頂けると幸いです。数十円の話ですが、私にとって皆様が本に出会う際のお役に立ったことを知る機会となり励みとなります。)
「知っている(≒わかる)」と「感じる」の違いについては、こちらの動画も是非どうぞ。
ウエイクアップ動画「意識の進化はどこへ行くのか?②」:
関連する本・記事: