ここみちノート

散歩中、お風呂の中、夜眠る前、心の向くまま・導かれるまま、ふと思いついたことの雑記帳

語学力は関係ない

先日、ホリエモンこと堀江貴文さんがカルロス・ゴーン氏とレバノンで対談している動画 がアップされました。

法務副大臣が今月初めにレバノンまで出向き、大統領に身柄引き渡しを求めているこの状況下で、当人に直接会うことができるということ自体がすごいのですが、

私は、そのこと以上に、堀江さんが、決して流暢とは言えない英語で、通訳も入れずに、いつものドヤ顏ではなくて必死に会話していること、その姿をカットなしで世界に発信しているということの方に、むしろ心を動かされました。

 

youtu.be 

コミュニケーションは語学力の問題ではない

常々、

「コミュニケーションは語学力の問題じゃない、伝えようとする気持ち、理解しようとする気持ち」

と思っていますし、そう言い続けてきているのですが、

堀江さんの姿から、その素晴らしい実例を見せて頂いている気持ちになりました。

 

私の英語は発音だけは良いらしく、「英語ができていいよね」と言われることが時々あります。

最近でこそようやく、上達したなぁと自分でも思えるようになりましたが、社会人になって仕事で英語が必要になってからも、実際は大したことはありませんでした。傍目には苦労なく対話していると見えるらしいその裏で、背中と脇にいつも冷や汗かいてきました。

幸い、中学生のときによく勉強したので基礎が身についたようで、その後の人生、仕事もMBA留学も、ほとんど中学英語の上に、場当たり的に単語を増やす形で乗り切ってきました。(高校・大学で熱心に勉強しなかったことは、とてももったいないことをしたと悔いています。)

 

でも、外国の方とのコミュニケーション力は高い方だと思っています。

なぜか。

それは、私がどうにか相手を理解しようとしていることと、私も話したいことがあるということが、全身やエネルギーから伝わるからではないかと思っています。

だからこそ、相手も一生懸命に噛み砕いて説明してくれたり、辛抱強く待ってくれたり、表現するのを手伝ってくれたりします。

結果として、語学力の割に、分かり合えたと感じます。 

 

この作法は、大学の途中でドイツに交換留学したときに、サバイバルするうちに自然に身につけたものだと思っています。

当時、英語コンプレックスがあった私は、英語から逃げるようにしてドイツ語の方を熱心に学んでいました。留学前に多少は喋れるようにはなっていたのですが、それでも現地で一人で生活を立ち上げるというのは大変なことでした。

当時、携帯電話もなく。インターネットもさほど普及しておらず。

電話一本引くのも一苦労でした。寮生活も、奨学金を受け取るのも、薬を買うのも、何もかも。

でも生活していかなくちゃいけないから、できないとか言っている場合ではなく、必死でした。

 

友達づくりは、ドイツ人よりも、ドイツに学びに来た、ベルギー人、イタリア人、フランス人、スペイン人、ドイツ系ウルグアイ人、アメリカ人などと仲良くなり、彼らといつも一緒に過ごしていました。(ヨーロッパでは、エラスムス(ERASMUS)という、EU内大学交流プログラムがあり、学生はEU内の他国の大学で取得した単位を自国に持って帰ることができます。そのため、留学は当時からとても一般的でした。)

皆、不自由なドイツ語で何とか話す。身振り・手振り・表情、使えるものは何でも総動員で、何とか話す。理解できなければ何度でも聞き返す。ドイツ系ウルグアイ人の子が必要に応じて訂正してくれましたけれども、それも、あまりに見かねたときくらいです。

多分、母国語で話すことの半分以下しか話せていない。

けれども、人生についてなども沢山語り合って、とても深い繋がりになりました。今でも彼ら・彼女たちは親友です。

 

この体験は、コミュニケーションのは言語の問題ではない、ということを、私に強烈に刻ませました。

流暢に、でも無表情で全く姿勢を変えない人よりも、

カタコトでも、笑顔だったり、真剣だったり、必死だったりする人の方に、人は惹かれますし、助けようという気持ちにもなってくれます。

 

海外生活をした人は一般的に外国の方とのコミュニケーション力が高いのではないかと思いますが、それは、海外生活で外国語が流暢になったから、ということ以上に、こういう体当たりをしてきた、・・・というか、せざるを得なかった体験があるから、ではないかと思います。

若いうちに留学をするというのは、言語や学問のためだけではなく、こういう体当たりの機会としての価値が大きいと思っています。(だから、何をやりたいかわからないけど、とにかく行ってみたいという人は、理由は後付けでとにかく行ってみたらいいと思います。)

 

邪魔しているのはプライド

上記の友人の何人かは日本にも遊びに来ました。

そのうちのイタリア人の一人を田舎に住む祖母の家に連れて行ったことがあります。

祖母は全く英語はできませんが、私の友達と2人だけでほっておいても、何だか楽しそうにしていて、ちゃんとコミュニケーションが成立していることに驚きました。

祖母が話しかけていたのは、ほとんど日本語だったんだろうと思いますが、そこには「伝わらなかったらどうしよう」とか、そういう怖れは全くなさそうでした。

 

「言語ができないから、・・・できない」と言っている時、真の意味でそれを邪魔しているのはプライドです。

 

通じなかったら恥ずかしい、

たどたどしい姿を誰かに見られたくない、

理解できていないことがバレたらみっともない、

あるいは、

わからないことが多すぎてショックが大きそう、

喋れなさすぎてショックが大きそう、

さらには、

言葉がちゃんと理解できなければ、完璧に学びきれない、学びが中途半端では、いい成果が出せない、

など。

どれも身に覚えがあります。

 

そんなことを気にしているから、いつまでたっても先に進めない、とも言えるかもしれないですし、

もしかしたら、それが気になるくらいなら、それは心底やりたいことではないのかもしれないとか、そこまで追い込まれてはいない、という風に考えることもできるのかもしれません。

 

堀江さんの動画からは、

本当にやりたいことがあったら、本当に大事だと思うことがあるのなら、

人からどう思われるかなんて、どうでもよくなる、

完璧かどうかなんて、気にしてる暇なんてない、

そういうことを改めて教えて頂きます。

堀江さんご自身、普段からそういうことをおっしゃっている方だと思うのですが、言行一致が素晴らしいなと思います。

 

流暢に聞こえるけれども中身がない話ほどつまらないものはない

もう一つ、私がいつも言っていることがあります。

「話の深さは、語学力よりも、話したい思いと内容」 

これは、英語だけをウリにする方々への警鐘であり、海外経験のない or 少ない熱心な勉強家の方々へのエールでもあります。

どれだけ発音が良くて、100%聞き取れても、TOEICが余裕で満点でも、その方の話す内容が面白くなければ、やっぱり話はつまらない。薄っぺらい。

言葉はカタコトで、間違いだらけでも、話している内容の深さは、聴いていればわかります。面白そうだ、興味深い、と思うとき、人は、どうにかあなたを理解しようとします。

では、話の内容は何で決まるか。

それは、いつもやっていること。いつも意識や関心を向けていること。自分の生き様。

だから、世界で人脈を築こうと思ったら、英語力を鍛えるよりも、自分の好きな道をとことん極めるとか、自分の世界のことを深めていった方が、よっぽど近道、と思うのです。

 

 

もちろん、語学力は高い方が便利に決まっているし、ずっと学び続ける価値があります。

でも、完璧になる日はやってこないし、その日まで熱があるものを先送りしていては、機会損失も甚だしい。

学びは学びで継続しつつ、今からも使い始める。

その一歩一歩をやっていると、知らないうちに随分遠くまで来れている、ということになるのではないかなと思います。

 

ゴーン氏の事件自体は、私はあまりフォローしていないので、内容については何もコメントがありませんが、堀江さんの、素のままの自分をさらけ出す大胆な行動と、日頃の発言との言行一致感には、勇気と刺激を頂きました。

 

ということで、いってらっしゃい!(ホリエモン風)

 

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