6月は、読書録も、ノートも、 あまり書かないまま、はや夏至も過ぎました。
今月は、コーチングについて、少しまとめて説明するページを作りたいなと思い、こちらのページを作っていました(随時見直し中)。
かつてブログ開設するのも一苦労だったのに、(微々たるものとはいえ)カスタマイズまでするようになったなんて、自分でも驚きます。
なんでできたのかなと思うと、
一つは、「まず、やってみる」の精神、
そして、もう一つは、「国語力」のおかげではないかと思います。
読み解いて理解できれば、大抵のことはできる世の中になっている
コロナのおかげで、ブログに限らず、私のITリテラシーはかなり高まりましたが、どのように知識を得ていたかと言えば、ほぼ全てネットから。
世の中の方々の「シェアしたい気持ち」は素晴らしく、何かわからないことを検索してみると、だいたい誰かがその答えをシェアしてくれています。本当にありがたいことです。
なので、あとは、それを読んで、書いてあることのとおりにできるかどうか。
ゆっくりであっても、一歩一歩、文章を理解していくことができれば、書いてあることはできます。
文の構造が理解できれば、応用もできるようになる
カスタマイズしていくにあたっては、HTML記述なども少し自分で修正したりする必要がありました。
HTMLなんて、習ったことも、本を読んだこともありませんが、いくつかの例を見ていると、ああ、ここのアイコンを変えたかったら、ここを修正する必要があるのね、というのがわかってきます。
構造がわかれば、いじるべき場所もわかってくる。
日本語だったら、主語があって、目的語があって、動詞がくる。
英語だったら、主語があって、動詞があって、目的語がくる。
構造を理解すれば、あと単語を入れ替えるだけでいろんな文章をつくることができます。
またその構造が崩れているときに「あれ?」と思えれば、正しい文章に直していくことができます。
これは、きっと、HTMLなどの言語でも同じことなのだろうと思います。
数学すらも、読解力で何とかなる
私はかつて金融機関に勤めていたのですが、数字が非常に苦手でした。
(なのになぜ金融機関に就職したのかと、自分で自分を突っ込みたくなりますが。)
このことは、ずっとコンプレックスで、とりわけ数字のセンスが求められる部署に配属されることは恐怖でした。
そのことを上司に話した時の上司の言葉が、正確ではないのですが、とても残っています。
「大丈夫だよ。あなたは読解力があるでしょ。ということは論理的な考え方ができるということだよ。読める人は大丈夫だよ。」
確かに、数学は、文章を数字と式で表しているもの、とも言えます。
数字がわかる人ほどにスピーディに理解はできないけれども、ゆっくり落ち着いて、自分の言葉で表現していけば、論理が通っているのか、どこで崩れるのかは、わかってきます。
計算自体は、エクセルがやってくれます。
文章を理解できないことで失うもの
読むことが面倒になってしまったり、理解できない、となってしまうと、広がる世界も広がらなくなってしまう可能性があります。
調べようと思ったら、いとも簡単にこれだけの情報が得られる現代において、
その情報を得て、理解してどんどん使っていくことができる人の可能性は果てしなく広がっていくでしょうし、
一方で、それを得ようとしない、理解しようとしない、使おうとしない人は、その広がる世界は見ることがないかもしれません。
「情報格差」という言葉は、一般には、得られる情報の「量」や「質」などの違いを指しているのだと思いますが、
よほどの国家機密や、インサイダー情報の話でもなければ、
今は、信頼できる情報は、一般の人でも、得ようと思えば得られる時代と思います。
ネットでも、図書館でも、良質な情報は得られます。
一般人(つまりは日本人の大半)の中で、格差が生まれるとするならば、
そこにある情報を取りに行こうとするか・しないか、
目に触れた情報を理解しようとするか・しないか、
理解した情報を使おうとするか・しないか、
という選択の問題のような気がします。
なので、多分、
お金をどれだけ配っても、格差は無くならない。
「情報弱者」をなくそうと、全世帯に仮にタブレットを配り無料の通信環境を整えたとしても、それだけでは、多分、格差は無くならない。
読解力は、備えていないと、必要な時に自分をも守れないかもしれない。
役所などからの通知では、苦しい時は税金や社会保険料の減免や猶予などの選択肢があることを知ることもできます。でも、読まなければ・読めなければ、これも気づかない。
読み・書き・算盤、なんていいますけれども、本当に、国語の力は、当たり前のようでありながら、ものすごく大事なことだと思うのです。
義務教育の国語で十分
基礎的な国語力・読解力はどこでつくか、と言えば、義務教育。
それ以上は、上記で言うところの「応用」をしているだけなんじゃないかな、と。
だから、小学校では、本当に、国語をしっかりやったほうがいいんじゃないかな、と。
母国語でしっかりと構造を理解して軸を作っておけば、他の言語の構造も理解していきやすいと思います。
小学校では、是非、読むことって楽しいんだよ、世界が広がるんだよ、ということが伝わっていくといいと思います。
決して、読むことってめんどくさいんだよ、大変なことなんだよ、ではなく。
難しい単語や熟語を知っているかどうかは、それが好きな子がやれば十分で。
検索すれば出てきますから。
これからの時代は、英語とITは必須と思いますけれども、
その大前提として、国語力(母国語力)をおろそかにしちゃいけない、と思います。
(今更ながら、ツイッター始めてみました。こちらでもフォロー頂けると嬉しいです!https://twitter.com/keikotrottolina)