withコロナに少し慣れてきたかなと思ったら、今度は長い雨。散歩もなかなか行けません。
豪雨被害のニュースには心が痛みます。
世界の情勢も刻々と変わってる。
私たちが生きる世界は、常に変わってる。
今日までできたことは、もう、明日にはできなくなってるかもしれない。
2020年は、今まで以上にそう思わされます。
それを思うと、改めて感じます。
やりたいこと、やりたいと思ったときに、やっておいてよかったな、と。
(Dariusz SankowskiによるPixabayからの画像)
やっておいてよかったと思うこと
例えば、旅行。例えば、出張。
プライベートと仕事で、行ったのは、以前数えたら、確か47カ国。
同じ国を再訪することが多かったので、あまり国の数としては多くないけど、いったい何度飛行機に乗ったんだろう、
お隣ロシアから中南米まで多方面に飛んだな、同じ国の中でもいろんな町に行ったな、と。
行く度に発見があって、視野が広がって、いろんな価値観を知って。
友達の家にも沢山お世話になって。彼らの家族とも仲良くなって。
コロナで出入国が制限されることに加えて、感染予防で、もう今までのような料金では飛行機には乗れないんじゃないかと。
例えば、留学。
大学時代の交換留学は、多国籍な友達と、毎日毎日を楽しんだ時間。
乏しい語学力でサバイバルした日々。
私の今の考え方、感じ方、価値観、生活力にとても大きく影響してる。
社会人になってからのMBA留学は、平均年齢を過ぎてから、年下の超優秀なエリートたちの中に紛れてみた日々。理解できる嬉しさ。自分の問題意識や考え方、コミュニケーションに自信を得た体験。
今でも、普段の自分と違う角度の情報や意見に触れることができる貴重なコミュニティ。おかしな人たちの集まりでもある。
例えば、結婚。
残念ながら結果的にはうまくいかなかったけれども、あの結婚がなければ、今の私はあり得ない。
例えば、退職。
去年、長いこと勤めさせて頂いた会社を退職したけれど、あの時辞めておいてよかった。決めきれずにいたら、コロナで会社の仕事が忙しくなって(そういう業種でした)、自分でも将来の収入が不安になって、もっと決められなくなっていたかもしれない。
例えば、管理栄養士さんについてもらった食事見直しプログラム。
フィットネスだけのつもりが、食事見直さないと痩せないと言われて。正直、金額は私には高かったけれども、あの時、献立の指導を受けたり、三食ちゃんと作るという経験をしていたことは、コロナの外出自粛時にとても助けになった。
例えば、祖母の家に遊びに行くこと。
介護施設に入ってからは、コロナで面会が許されず。
祖母の家に泊まってご飯つくって一緒に食べて、という日は、また来るのだろうか。わからない。
例えば、両親との旅行。
昨年秋、ふと思い立って、久しぶりに、一緒に行ってみた。
まさか、その後に、外出自粛や県外移動が制限される時が来るだなんて、想像にもしてなかった。
例えば、写真撮影。
友達の素敵な写真に刺激されて。私もどこまでキレイになれるのか試してみたい、と勇気を出してプロに撮ってもらった。
この時の写真が、今、プロフィールをつくったりするのに大活躍してる。
例えば、同じ月生まれの友達と、友達いっぱい招いての共同誕生会。
三密極まりない、賑やかな会。
あんな会をまた開ける日はいつだろう。
例えば、いろんな遊び。
クラブや野外フェスでまた踊れる日は来るのだろうか。
またサルサを踊りたいと思う日は来るのだろうか。
例えば、いろんな学び。
これを知ってみたい、この人の話を聴いてみたい、こんな場に身を置いてみたい。
学んだから知った世界、その世界を知ることでまた次の世界が見えてきた。
「また、いつか」じゃなくて、そうしたい、と思ったらやってみた。
もちろん、これは意味なかったな、つまらなかったな、っていうのもある。
でも、私の場合、都合良いことに、そういうものは記憶から消えていく。
どちらかといえば、存分にやらずにいたことの方がふと頭をよぎる。
例えば、恋愛。もっとときめくままに行動していたら、どうなっていただろう。
例えば、海外で働く。何も考えずにピョンと飛び出してしまっていたら、どんな人生になっていただろう。
自分も変わる
刻々と変わるのは、環境だけじゃなくて、自分もだったりする。
体調や体力が変わってしまうこともある。
体のこととは関係なく、あの時やりたかったことは、もう時が過ぎると、その時の熱がなくなってしまったりする、というのもある。
だから、やらなくてよかったじゃん、とも言える。
でも、その時に疼きからやっていたら、それは必ず経験として自分の中に残る。
後から熱が冷めても、経験は自分の中に蓄積される。
だから、その熱があるその時を大事にすることに、私はけっこう意味があると思う。
経験が自分をつくる
私はじっとしていられないタチなのでもあると思う。
同時に、経験することの価値を自分で感じてきたとも思う。
講演会などで誰かの話を聴いて刺激は得られるけれども、
本やブログを読んで知識を得たり、疑似体験もできるけれども、
それでつくられるのは、やっぱり頭の中の話。
他人やモノから得た知識や刺激を、自分のものとしていけるかどうか。
それはやっぱり自分自身で経験・体験することなんだと思う。
体験を通じて、体に知性が宿り、直感が養われる。
今日の食事が明日以降の自分の細胞をつくるように、
今日の経験が明日以降の自分をつくる。
だから、やっぱり、やりたいことは、やりたいうちに。
コロナ禍の今ではできることがない?
確かに、今はできないことがある。
けれども、この世界全体が変化する真っ只中の今しかできないことも、必ずある、と思います。
大げさに言えば、ある意味、今は、幕末か戦後かという程に世の中の仕組みが変わりつつある時。
混沌の中でこそできることがある。混沌の中だからこそ生まれるものがある。
それを試すなら、むしろ、今しかない。
ちなみに、「経験が自分をつくる」という考え方は、Bigger Gameの影響も多分に受けていると思います。
Bigger Gameの副題は「Playing a Bigger Game designs what you want to become.」
ビガーゲーム(自分を成長させ、周囲への貢献もする日々のこと全て)をプレイしていくことが、なりたい自分をデザインする。
ビガーゲームをプレイするとはどういうことか。
自分らしく幸せに生きる人生を手に入れた人たちに共通する9つの要素を体得するワークショップを実施しています。
次回は初のオンライン開催です。8月29日・30日、9月5日・6日の計4日間(各半日)。
経験が大事だとわかっちゃいるけど、実際にはなかなか行動に移せていない、という方にぴったりなワークショップです。
ぜひチェックしてみてください。
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